〔特集〕
発達障害の方の「生きにくさ」の背景にある脳内メカニズムの解明に向けて
研究所 脳機能系障害研究部 発達障害研究室長 和田 真

 池袋の街角であふれる看板に‘襲われて’、不意に目を閉じ、耳をふさいでパニックとなってしまう…ありふれた日常に苦しめられている人たちがいます。これは発達障害の当事者の方が語った日常の困難(「生きにくさ」)の一例です。
最近の研究で、このようなことは、視覚や聴覚などの感覚が過敏なために起きると考えられるようになってきました。脳機能系障害研究部発達障害研究室では、このような日常生活上の「生きにくさ」を解消するために、認知神経科学の手法を用いた研究を、日々進めております。
発達障害の一つである自閉スペクトラム症は、社会的コミュニケーションの障害と強いこだわり が特徴とされてきましたが、生活の質(Quality of Life)を下げる原因としては、「街角の雑踏が苦手」「服のチクチクが気になる」「きれいな字がかけない」「ラジオ体操でお手本の真似がうまくできない」といった感覚や運動に起因したものが非常に多いことがわかってきました。しかし、これらの個々の「生きにくさ」は、個人差がとても大きく、自閉スペクトラム症者の全てが共通の困難を共有しているわけではありません。私たちは、その原因に、脳の神経回路の多様性があるのではないかと考え、「生きにくさ」の背景にある脳内メカニズムの解明に取り組んでいます(図1)。
画像:研究の戦略
図1 研究の戦略
本人の困り感(生きにくさ)の背景には、心理物理実験などで測定可能な認知行動特性があり、
そこには遺伝子の多様性に関連した脳の神経回路の特徴があると考えています。

 私たちは、これら感覚・運動の情報処理の問題について、様々な心理実験や脳機能計測を行い、個々の困りごとに関連した脳の仕組みを調べています。例えば、冒頭で紹介した感覚の過敏は、感覚の時間情報処理の正確さと関連があることがわかってきました。短い時間差で提示された振動刺激の順序が、どれくらいの時間差まで正確に答えることができるのか調べたところ定型発達者では、順序の判断には0.05秒程度の時間差が必要であるのに対して、当事者のなかには、0.008秒と非常に短い時間差の順序を判断できる方がいることを発見しました。また、当事者のなかには、順序の判断には0.15秒程度とかなり長い時間差を要する方もいました。そして、非常に正確な順序判断ができた方は、強い感覚過敏の訴えを持ち、順序判断が得意でない方では、感覚過敏の訴えは、ほとんどありませんでした。一方、意外なことに「どれくらい弱い刺激まで感じることが出来るか」という刺激の閾値と、感覚過敏の訴えとは、明確な関連はありませんでした。従って、自閉スペクトラム症と診断はされていても、感覚過敏に関する特性によって異なる対応が必要なことが、はっきりとしました。現在は、MRIなどにより脳機能計測を行うことで、その脳内メカニズムを明らかにする研究をすすめております。これを明らかにできれば、自閉スペクトラム症における感覚過敏の病態解明に近づくことができます。
 さらに、スポーツや書字の障害につながる身体の捉え方の特徴についても、研究を進めています。様々な感覚情報を統合する必要のある課題を行ったところ、自閉スペクトラム症の当事者や自閉傾向が高い方では、外部の空間と身体の関係性よりも、自分の手足の関節角度など身体情報を重視する傾向が明らかになりました。私達の脳は、様々な感覚情報を取り込むことで、身体と外部の空間の位置関係を認識し、適切な行動を実現していますが(図2)、自閉スペクトラム症の方は、感覚間情報処理の問題の結果、外界に身体を適切に位置づけることができず、「きれいな字がかけない」「ラジオ体操でお手本の真似がうまくできない」といった身体の捉え方に関係した困りごとが生じると考えられるのです。
画像:三浦半島に行ってきました
図2 心理物理実験の一例:時間順序判断
左右の人差し指に提示された2つの振動刺激の順序をボタン押しで答えてもらう課題です。
どれくらい細かい時間差の順序まで区別できるかを知ることができます。

 まさに研究を進めている段階ではありますが、発達障害の方が抱える日常生活上の様々な「生きにくさ」の背景にある特性を、数値化できれば、個人に合わせた発達支援の適用、そして、介入に対する客観的な効果判定が実現できます。このようにして基盤となる脳内メカニズムを明らかにし、個々の方が抱えている様々な「生きにくさ」を軽減できる新たな訓練・支援手法の開発に貢献していければと考えております。