自閉症児・者の世界

〜スティーブン・ショア博士講演会〜


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講演会の時の写真です
スティーブン・ショアさん

講演会について

浦河町教育委員会による主催、浦河町教育研究協議会障がい児部会の協力により、2007年1月19日、浦河町総合文化会館において、スティーブン・ショア氏を招いて自閉症児・者の世界を紹介していただく講演会を開催しました。当初は70名程度の参加を予定していましたが、当日170名もの参加があり、急遽会場を変更して「ふれあいホール」にて行われました。



スティーブン氏講演

司会(浅野):

この春から特別支援教育が本格的に始まることになっておりまして、発達障害について注目が集まっているところです。今日は、なんと、はるばるアメリカから浦河にスティーブン・ショア先生にお越しいただきました。どうぞ皆さん拍手でお迎えください。皆さん、ご覧になってショア先生がどなたかお分かりになりましたよね(笑)。皆さん英語が得意だと思いますので、通訳なし、といきたいところなのですが(笑)、せっかくなので、国立身体障害者リハビリテーションセンターの河村宏先生、八巻知香子さんに通訳をお願いしたいと思います。

スライド スティーブン氏講演のスライド表紙

スティーブン:

コンニチワ。

"自閉症の特徴"

スライド 自閉症ドラゴンの絵と言葉の喪失、癇癪、周囲からの孤立、自己刺激の図

まず、自閉症について紹介するところからはじめたいと思います。自閉症の特徴、そして自閉症が私自身あるいは私の知り合いの自閉症者にどのように影響してきたのかをお話ししていきます。
一般的に自閉症というドラゴンは生後18ヶ月〜24ヶ月で現れます。18ヶ月〜24ヶ月までは普通に発達を遂げているのですが、次第にコミュニケーション機能を失い、癇癪、自分の世界への閉じこもり、自己刺激行動などが環境と共に現れてきます。私の場合、18ヶ月で自閉症ドラゴンと出会いました。 中には、生まれる前にドラゴンに出会っている子どももいるようで、お腹にいる時から、何か他の子どもとは何か違うことに気づいていたというお母さんもいます。
自閉の原因についての研究をみてみますと、今日の研究では概ね、自閉症が遺伝的要因をもとに発現すると考えられています。

スライド 自閉症の要因と考えられるもの

この遺伝的要因は何か別のもの、例えばワクチン、あるいは食物、あるいは何か環境的なことと作用しあっているわけです。私は環境と関係していているように思います。というのは、私が診断されたときは、小学生全体で、1万人に1人の割合で自閉症がいるといわれていました。
今では、アメリカの疾病管理センター(CDC)は166に1人の割合で自閉症の発症と推計しています。
自閉症の原因は未だに掴めていませんが、私が公立小学校にいた時、自閉症と診断された子どもは私だけでした。今日では、自閉症児童だけで1クラスの所もありますし、自閉症児童の学校もあります。
未だに課題とされている事実は、確固たる自閉症の原因がわかっていないことです。大勢の自閉症にまつわるミステリーは依然ミステリアスなままです。いろいろな疑問も解明されていませんね。例えば、なぜ目を合わせないのか、なぜアイコンタクトがとても短いのか、分かっていません。

スライド 自閉症とは何か?

一方で、自閉症の特徴についてはいろいろわかってきました。米国自閉症協会や診断・統計マニュアルであげている自閉症の定義からみてみますと、自閉症とは幼少期から繰り返される神経細胞の生物学的状態と定義され、社会生活やコミュニケーション上の困難、反復的行動や興味が限定されることなどが特徴といえます。 あるボストンの研究者は、自閉症は必要とされる環境の情報が中枢神経系から遮られていると状態であると考えています。通常の行動を発達させていくために必要な環境からの情報が、何かによって遮られているということは、多くの人が言っているようです。例えば、自閉症の人は、言語以外のコミュニケーションが大変不得手です。研究で、対人関係におけるコミュニケーションの80%は言語以外のものであると言われています。つまり、私たち自閉症の人は世の中の情報のうちの、残りの20%分しか得られていないということなのです。
自閉症の診断のプロセスについて、私たちが問題だと思っている点は、診断が欠陥モデルに基づいているということです。子どもが自閉症と診断されると、まず、欠陥部分、例えばコミュニケーションがとれないとか、友達を作れないとか、仕事が見つからない、制約が多すぎて満足な生活を送ることができないというような問題ばかりを聞かされます。 私は、自閉症の特徴への新しい見方が重要だと思います。自閉症を必要以上に悪い特徴としてのみ捉えるのではなく、これらの自閉症の特徴は、充実した豊かな生活の元になるものであるという捉え方です。
イギリス、ロンドンのパディントン駅で働いている自閉症の当事者の例を紹介しましょう。パディントン駅はイギリスでダイヤが最も混み合っている場所です。
彼の仕事はダイヤ案内窓口です。列車の出発時刻、到着時刻、乗り継ぎなどの情報を提供するのです。
言語において自閉症的傾向が強い場合、コミュニケーションスタイルはとても直裁かつ実践的で的を射ています。冗談を言ったり、不必要なことを言って人を迷わせることはないのです。
彼の情報は正確、迅速かつ的確で、まさに慌しい状況下で列車を乗り継ぐのに適した情報なのです。 彼は他の同僚と同じように、必要な時に必要とされる情報を提供しているのですが、同僚と違う点は、彼にはマニュアルや時刻表は必要ないという点です。彼は全ての情報を暗記しているのです。
多くの自閉症スペクトラムの人と同じように、彼も特別の興味というものををもっているのですが、彼の場合それは列車の時刻表なのです。彼の場合は自閉症の二つの特徴をうまく活用しているといえます。一つは独特のコミュニケーションスタイル、もう一つは診断基準では「限られた興味」といわれてしまうものですが、私はむしろこれを「特別な(優れた)興味」あるいは「的を絞った興味」と捉えるべきだと思っています。この「的を絞った興味」とコミュニケーションスタイルを上手く合わせて、彼は充実した生活を満喫し、かつ、社会の中で貢献しているのです。
ですから、私たちが自閉症の人たちをどのように援助していけばいいのか考える際、このような能力や興味に目をむけ、社会で彼らが活躍するためにその長所をどのように活用すればいいのか考えていくべきではないでしょうか。

スライド 内部と外部の感覚

"自閉症の特徴"

次に、診断基準の定義で見過ごされている点は、自閉症は感覚統合に問題があるという点です。 ですから、感覚統合について、特に作業療法士(OT)が自閉症児童とかかわる時に注意している点についてみていきましょう。
作業療法士は感覚を外部感覚と内部感覚に分けて考えます。外部感覚とは、視覚、触覚、味覚、聴覚、嗅覚です。内部感覚とは、バランスを保つ「前庭覚」と、「自己受容性感覚」と呼ばれる、自分の体のある部分がどこにあって、したいと思った行動をするためにどれぐらい力を入れればいいのかを伝達する感覚の2つです。
自己受容性感覚の問題は、書くことの苦手な自閉症児童を見ているとよくわかります。通常、私たちは字を書くときに、どれぐらいペンを強く握るか、どの程度ペンを動かすかといったことは一々考えないで無意識にやっている動作です。でも、自閉症の人は書くという動作そのものに想像もつかないほどの集中力をとられてしまうので、書く内容や、今日のような講演会でノートをとるということに費やす集中力が残っていないのです。
自閉症は、「感覚的侵略」と私は呼んでいますが、この問題も抱えています。感覚的侵略とは、一つないしそれ以上の感覚を圧倒してしまうようなものです。例えば、自閉症の人は大抵、蛍光灯が苦手です。それは自閉症の人にとっては、蛍光灯が普通の人にとってのフラッシュの光のように感じるからです。フラッシュは休みの日には楽しいですが、フラッシュを浴びながら毎日の生活、学校や職場で集中するのはきついですよね。 このように光に弱い子どもに対しては、野球帽をかぶせて目を光から守ったり、ライトの種類を自然灯に変えたりして助けてあげることができます。
自閉症の中には、触覚にとても敏感な人もいます。多くの自閉症の子どもは髪を切るのがきらいです。私も小さい時は、散髪が嫌いでした。はさみの音が嫌というわけでもなく、光がまぶしくて嫌というわけでもないのですが、頭皮から髪を引っ張られるという感触がとても痛かったのです。髪を切られるときは、髪が一度にバサッと切られる感覚です。私と同じような感覚を持っている子どもは、きっと同じように感じていると思います。当時はそれがどんなに嫌なものか自分の両親にわかるように説明することができませんでした。これらは自閉症の人がかかえる多くの感覚的な問題のうちの2例です。
これまでは過敏性について話してきましたが、反対に感受性低下の場合もあります。例えば、私は前庭覚と自己受容性感覚が低すぎる傾向にあります。ですから、私のようなタイプの子どもが、放っておくとずっとグルグルと円の中で回っていたり、遊園地でローラーコースターに一日中乗っている子どもを見かけると思いますが、彼らは刺激を求めているのです。
私が世界中をまわって、会議やワークショップに出席する理由のひとつは、飛行機のライトとも関係しています。私は飛行機が離陸するときの前庭覚や自己受容性感覚の刺激がとても好きで、タービンが回り始め、翼がこのようにパタパタ動きを見ると気分がよくなります。また、飛行機の翼がパタパタ動くのは、飛行機も自閉症傾向にあり、刺激を楽しんでいるのだと思います(笑)。

スライド 自己刺激行動

次に自己刺激行動についてお話しましょう。自己刺激行動とは「反復的な意味のない動作」と定義されています。今日、ここから会場の皆さんを見わたしますと、その「反復的な意味のない動作」をされている方がたくさんいらっしゃいますね。それは、長い時間、椅子に座りながら、完璧に不動状態を保つことはとても大変だからです。ですから、足をゆすったり、髪をいじったり、鉛筆でいたずら書きしたり、ペンの端を噛んだりするのです。言い換えると、それぞれに小さな動作をすることで、自分の意識のレベルを調節して、眠いのを我慢しているのかもしれませんし、ちょっと落ち着かないので、繰り返しの動作でご自分を落ち着かせようとしているのかもしれません。ですから、こうした行動は、自分をコントロールする行動と考えることができます。
人間は大人になると、社会的に許容される態度をとることを学んでいきます。私の仕事は自閉症の人たちにも同じように社会的に許容される態度を学ぶことをお手伝いすることです。
では、手を叩くという一般的な刺激について考えてみましょう。皆さんも私と一緒にこうやってパタパタ手を叩いてみてください。気分がとてもよくなりませんか?
会場の中にも、とても上手にやっておられる方がいらっしゃいますが、自閉症かもしれませんね(笑)。
ただ、この動作は周囲の状況にそぐわないので、同じニーズを満たすことのできる何か他の動作を考える必要があります。例えば、ボールをグイグイと握る、子どもにボールを渡して握らせてあげることもいいと思います。なぜなら、その子にとって、じっとしていなさい、といってもそれは無理だからです。ですから、もし子どもが手をパタパタさせていたら、子どもにボールを握らせて、もっと握り締めることを促すなど、彼らにできないことではなく、できることを教えていくのです。

スライド 自閉症スペクトラム障害をもつ子どもたちの特徴

この親しみあるキャラクターは、自閉的傾向があるように思います。このごちゃごちゃした旗は、自閉症の人にとって、周囲の世界は混乱、混沌とした状態だということをよく表しています。

"自閉症スペクトラム"

次に「自閉症スペクトラム」についてお話します。自閉症スペクトラムというのは非常に広汎で多様な特徴があります。ですから、「自閉症」といってもとても異なるタイプの人たちがいます。
スペクトラムも重度から軽度まであります。最重度の場合、社会で一般に思われている自閉症のイメージのように、幼く、言葉はあまり話せず、部屋の端っこで揺れている、環境の変化に癇癪を起こす、扱いにくい子どものようなイメージといえるでしょうか。

スライド 自閉症スペクトラム

忘れてはならないのは、15歳以上の自閉症の若者はどうしているのかという点です。自閉症の子どもたちは成長し、自閉症の大人になり、自閉症の子どもと同様にサービスが必要になるのです。また、自閉症をもつ全ての大人たちがさらに成長していくためにどのような支援ができるのかについても考えていかなくてはいけません。的確なサービスや支援があって初めて、彼らは充実した生産的な生活を送ることができるのです。
スペクトラムの軽度の側の端は、高機能自閉症やアスペルガーと言われています。しばしばとても高いIQを持っていて、うまくいけば雇用され、充実した生産的な生活を送っています。が、この端にいる人たちは重要な側面が顕著に現れています。つまり、スペクトラムの軽度の端にいる人たちは、並外れた長所と並外れた困難を同時にを持ち合わせているという両極端な特異性を持ち合わせています。例えば、「Ask and Tell」でも1章を書いてくれた友達は、言語IQが200、総合IQは175です。彼女はこの本の中で一番明瞭なわかりやすい1章を提供してくれています。と同時に、彼女は社交性と感覚問題にとんでもないほど苦労しており、また生物医学的にも多くの自閉症者と同じように苦しんでいます。ですから、彼女は並外れた高い能力とともに大きな困難を抱えているといえます。
この円は、18ヶ月で私が自閉症スペクトラムとなった位置です。前にもお話した通り、私は有効なコミュニケーションの力を失い、癇癪もちとなりましたが、周囲の環境への意識はありましたし、受容的コミュニケーションはとれていました。他人とのつながりは理解できたのです。

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版)−私の場合

では、自閉症スペクトラムの右の端に向かって伸ばした矢印に沿ってみていきましょう。これは私自身の自閉症スペクトラムの状態の変化です。つまり、私自身の状態を時間に沿って表したものです。このタイムラインの内容を見る前に、注意していただきたいのは、この矢印は左から右へ伸びており、これは自閉症スペクトラムの人が、徐々に軽度に変化し、より意識化されていくという実際を意味していることに注意してください。
では、どうすれば自閉症を軽度の方向へ移動させることができるのでしょうか。どうすれば自閉症の人が自分の潜在的な可能性を最大化できるのでしょうか。自閉症の人の潜在的な可能性は、他の人と同じように無限なのです。そして潜在的可能性を引き出すための要因は何なのでしょうか?

スライド 自閉症を克服する方法

その1つが、自閉症者を一人の人として受容することです。困難を抱えてはいますが、それ以前に、一人の人であるということです。
他の要因をあげるとすれば、子どものニーズに合った早期の的確な専門的療育だと思います。これは私の博士論文の研究テーマでもあります。
3つ目の要因は、自閉症の人自信が主体的に自己決定できるようにエンパワー(力をつける)していくことです。言い換えれば、適切な自己認識もつことによって、自分の周りの環境とうまく折り合いをつけながら自分なりの生活をするために必要な決定を自分でできるようになるのです。
これらを可能にするためには、家族や親戚、教育関係者、治療の専門家(セラピスト)、医師、またそれ以外の人たちが共に協力しあって支援していく必要があります。自閉症支援者などからの支援も必要です。

"自閉症の私の人生"

では、自閉症スペクトラムと共に生きてきた私自身の人生を振り返っていきたいと思います。

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版):私の場合ー0

先にお話したとおり、私は初めの18ヶ月はごく普通に成長していました。たった2時間の分娩だったそうです。8日目に寝返りをしました。これは生まれて24時間後の私ですが、妻はこれを見て卵みたいだと言います。

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版):私の場合ー1.5

18ヶ月で私は自閉症ドラゴンに出会いました。自閉症ドラゴンと出会ってから、退行性自閉症とも言われる状態ですが、コミュニケーション機能を失い、様々な自閉症的傾向がでてきました。
1960年代の話ですが、当時は自閉症についてほとんど知られておらず、両親もどうしてよいか分からない状態でした。

スライド 自閉症の病歴、病院、出現について

自閉症の歴史を簡単に見ていきましょう。初めて自閉症についての論文が公表されたのは、1943年、レオ・カナーによるものです。
1940年代頃は、自閉症は、両親の子育てに問題があるため、特に母親の子育てが悪いせいだと思われていました。自閉症は母親の子育てが原因だと言われていたのです。
1960年代に、ブルーノ・ベテルハイムが“冷蔵庫マザー”理論を発表しました。この理論では、母親が子どもを拒否し、それが子どもに反映された結果、子どもが自閉症になるとされていました。 ベテルハイムは学校を運営しており、その校庭に石像を置きました。石像を置くことによって、母親が石のような心を持っていることを生徒に教えたのです。
幸いなことに、その後、ベテルハイムはインチキであると証明されました。そして1960年代後半に、自閉症の子どもを持ち、また妻が子どもにとって良き母であることをよく理解していたバーナード・リムランドが、自閉症には生物医学的原因が潜んでいると訴えました。彼は単独で、生物医学的要因についての研究へと方向を修正したのです。 ここで注目されたのは、自閉症の治療と自閉症の除去です。自閉症とは何か悪いもので、排除しなければならないものと考えられていました。この考えは1943年から1990年初頭まで続きました。1990年以降今日に至ってようやく、自閉症は病的な状況というよりは、何か違うものをもっている人と考えられはじめています。
今日では、インターネット上や大きな会議の中で直接会ったりして、自閉症者が集まり、趣味について話し、経験を皆で分かち合うような自閉症文化も生まれつつあります。
今では、自閉症者が違いを持ちながらも充実した生産的な生活を送ることができるようになるための、適切な早期療育と教育、感覚統合および生物医学的治療に焦点があたるようになりました。

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版):私の場合ー2.5

2歳半の時、両親は一年かけて診断を求めて駆け回りました。そして、私は「非典型的な発達、強い自閉的傾向と精神的障害」という診断を受けました。当時の医者はこのような重度の子どもはみたことがないと言い、施設への入所を勧めました。
両親は医者の意見を聞き入れず、子どもの面倒は自分達でみると言い、一年のうちに学校を説得して、私を入学させました。これが私の両親が、今日の言い方では早期療育といわれるものを取り入れた時期でした。この療育方法は、現在の言い方で言えば、家庭における音楽や運動、感覚統合、話すことや模倣などを中心とする早期療育プログラムといえるようなものです。
両親、特に母が私をみてくれました。当時は、父は外で仕事が忙しく、母が育児を担っていました。まず母は、私に母の真似をさせようとしましたが、うまくいかず、母が私の真似をしました。母が私の真似をするようになって、私は母の存在と私の周りの環境に注意を向けるようになりました。
ここから得られる教育への大切な示唆は、子どもに何かを教えること以前にあるということです。教える人がその子どもといい関係を作ることの重要さを意味しています。これは自閉症の子どもから博士課程の大学院生であっても同じです。

スライド 限られた現実の領域

母は私の“気づきの領域”に入り込んでくれたのです。“気づきの領域”というのはアーノルド・ミラーが提唱した言葉で、自分の周りに対する意識のことをいいます。通常、人には無限の気づきのゾーンがあります。例えば、スライドの図にもあるように、後ろの人にもちゃんと意識を向けていますね。でも、自閉症者の中には、気づきの領域がとても狭い人もいて、とても近くまで寄らないと、場合によっては触らないと全くあなたの存在に気付かないこともあります。 例えば、私の母が家の中から、「お昼よ!」と私を呼んでも、私は母の言っていることが聞こえませんでした。母は庭に出てきて、私に触れて、ようやく私は母の存在に気付き、母の手をとって、家の中に入りました。

スライド 自閉症を克服する方法

私は自閉症スペクトラム児とかかわる方法に関心があるので、様々な方法論について研究し、それが私の博士論文になっています。そこからわかったことは、本当に私たちが必要としているのは、どの方法が一番勝っているかということではなく、自分の子ども、または自分が関わっているその子どもにとってどの方法が一番適しているのかということです。方法論は行動的、構造的方法から関係性や認知的機能の発達に焦点をおいたものまで広範囲にわたっています。もう一度繰り返しますと、どの方法論がいいかというのは、その子どもの、そのときのニーズによるということです。
支援の方法論についての詳しいことは、私の三冊目の著書「Understanding Autism for Dummies(初心者のための自閉症理解)」に載っています。まだ日本語には翻訳されていませんが、1章を割いて、教育的、感覚的統合や生物医学的アプローチなど多様な方法論について記しています。

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版):私の場合ー4

4歳の時、私は再びしゃべり始めました。学校にも入りました。初めは入学を拒否されたのですが、再評価され、精神的に問題があるのではなく、神経的な症状であると評価されました。周りが動き始めた頃です。
私は時計のモーターが大好きになりました。時計のギアやモーターを外して、手にとって遊び、又時計を元の形に戻すのです。時計はちゃんと動き、全ての部品をきちんと元に戻すことができました。これが私の才能だと認めてくれた両親は、その興味を引き伸ばしてくれ、私の興味は自転車修理に向きました。大学時代には、自転車修理でお金を稼いでいました。今では、数え方にもよりますが、13台から15台の自転車を持っています。
親が子どもがもっている長所・才能と困難について子どもと話し合っていくことは、十分な自己決定力を育てていくためにもとても重要です。

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版):私の場合ー6

6歳で私は公立の教育施設である、普通の幼稚園に入りました。私は同級生とどのようにか関わればよいのかわからなかったので、つらいいじめに遭い、とても苦しい時期でした。また、幼稚園の先生も私にどう教えていいのかわからなかったのです。
しばしばこの時期に自己開示という問題が持ち上がります。子どもは家に帰ってきて、どうして自分は他の子どもと違うのかと質問するかもしれません。もしその子が自閉症であるならば、自閉症であることを子どもに伝えることが大切だと思います。

スライド 自閉症スペクトラム 生き方ガイド 自己権利擁護と障害表明のすすめ

そこで、セルフ・アドボカシー(自分の権利擁護)について、「Ask and Tell(邦題:自閉症スペクトラム生き方ガイド)」で書かれていることに触れたいと思います。この本には自分の状態についてどうやって自己開示すればよいか、またどうやって自分の権利を守っていくかについて多くの情報が書かれています。 この本の特徴は、著者全員が自閉症の当事者だということです。ですから、これは、当事者が当事者に教える、上手な自己開示と自己権利擁護のための本です。

スライド 自閉症を克服する方法

では、まず障害についての「開示」についてお話しましょう。私がこの障害の開示の問題にぶつかったとき、両親が自閉症という言葉を、他のごく普通の言葉として使ってくれていたことは私にとってもとても幸運なことでした。 今のところ、自閉症について十分にわかってはいないので、様々な違いを自閉症として扱っています。そこで、私は4つのステップを使って自閉症を説明してきました。ここでは私が音楽を教えながら8-9年かかわってきた男の子の例をあげてお話しましょう。
私がその子の支援をはじめたのは、彼が5歳半の頃でした。私は音楽演奏を教えていました。その子の両親は家の中で自閉症という言葉を使うことを嫌がっていました。集中的なプログラムや治療によって完全に治ると思っていたので、自閉症という言葉を使う必要がないと思っていたからです。彼が13歳になっても自閉症傾向があり、それは変わらなそうだと気付いた両親は、男の子に病気のことを話してもらえないかと私に頼んできました。
そこで次のピアノのレッスンの時間に、最初のステップとして、彼の才能(得意なこと)と困難(苦手なこと)について話し合いました。私たちは彼の音楽、数学、グラフィック・デザインという3つの才能があり、また友達をつくること、体育、筆記という3つは苦手であることを話し合いました。
二つ目のステップとして、彼の得意なことと苦手なことを比べました。そして、彼はパソコンができるので、理科の宿題は時間をかけて手書きするよりもパソコンを使うほうがいいという結論になりました。私もものを書くときにはパソコンを使いますが、苦手なことを補うために得意なことを見つけるというのはとても大事なことです。 3つ目のステップは、彼の特性を他の特性、彼の家族や役割モデルとなり得る人たちと比べました。ビル・ゲイツはアスペルガーでないかと言われており、コンピューター関係で成功している人ですから、ちょうど良いモデルです。ここでの目標は、人はそれぞれ違う得意なことと、苦手なことを抱えながら、その得意なことを活かして、実りある生産的な生活を送っているということを十分に理解させることです。
四つ目は、自分にどのような名前をつけるかということです。私は医者や教育者や科学者による説明を話す前に、違いをもっている人とその特徴を研究し、その結果、その人の特徴がいわゆるアスペルガー症候群として位置づけられることがわかるように話しています。これはその人が自分の特徴を理解するためのヒントとなる枠組みを提供するためです。自閉症の子どもが、自分にある何らかの違いが、なんと呼ばれるものであるのかを知ることはとても重要です。そして、自閉症であるという事実を明らかにすることで、彼らは自分自身の特性を理解できるようになるのです。もし周囲の大人が診断名を隠したり、自閉症について話すことを嫌がっている態度を見せると、自閉症であることが恥やスティグマの対象だと思い、直視することが恐くなってしまいます。
3週間経ってから、私は男の子の父親に、このことを男の子に話してどうだったかと尋ねました。そうしたら、父親は、あの子はアスペルガーであることを喜んでいたよ、そのお陰で彼は自分のことを理解することができた、と言っていました。

スライド 自己権利擁護への6つのステージ

次に、先ほど話しに出たタチアナ・シブリという極めてIQの高い女性が、 「Ask and Tell」で書いている話をします。彼女はセルフ・アドボカシー(自己権利擁護)のための6つのステップを考案しました。
初めは、自閉症スペクトラムの人が自分で権利擁護するべき状況について説明し、実際に権利擁護が必要なときには、ファシリテーターがどのように権利擁護を進めていくのか見せて支援します。言い換えれば、ファシリテーターが権利擁護過程の手本を見せるわけです。 更に深めていくと、権利擁護についての本人の責任が増していきます。レベル3に達する頃には、権利擁護の責任は本人と支援者の間で五分五分で本人に委ねられていきます。

スライド 自主的 個別教育計画(IEP)

例えば、学校で、あるクラスがよく、他のクラスではついていけないこと、そしてそれがなぜかということを手紙にして、学校に伝えるというような場面が考えられます。

スライド 自己権利擁護への6つのステージ

そしてレベル4、5、6になると、権利擁護の責任は全て本人の側に移行していきます。ファシリテーターは必要な時だけ支援する役割となります。
さて、今お話した障害の開示における自己権利擁護については、本の中でも書いています。

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版):私の場合ー8

次に、私が8歳の頃の話しに戻ります。当時、学校の先生は私の算数の力を心配していました。私は全く算数ができないと言われていましたが、今では大学で統計を教えています。当時、私は天文学の本を机に山積みし、夢中で読んでいたことを覚えています。今であれば、先生は、私の天文学に対する興味を長所として上手に使い、算数と国語を勉強する方法を理解するかもしれません。これは教育において、興味のあることを長所として認めて、それを活用していく必要があるということです。

スライド 特別な興味

自閉症の人々は特別な興味を示すことがよくあります。その特別な興味がとても強すぎて、日常生活に支障をきたすこともあります。スライドにあるのは、私がこれまでに特別な興味をもったものです。大人になっても一度に複数の興味をもったりしています。最後にクイズで出題しますので、よく見ておいてくださいね(笑)

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版):私の場合ー10

10歳の時、私はアルファベットのEがとても気になりました。単語にingをつける時、最後のEはとると習いましたが、このEが傷ついて、気持ちがガタガタに崩れ落ちるのではないかと心配でたまりませんでした。
自閉症者は文字通りに捉えてしまいがちですので、前にも言いましたように、冗談だと察知するために必要な非言語化コミュニケーションの理解がとても苦手です。母親とレストランに行った時のことですが、向こう側に座っている女の子が私に「目をくれている」と母は言いました。これは、私のことをずっと見ている、つまり私に関心があるという意味なのです。でも、私と母が交わした会話は、「あの気の毒な彼女は目が見えなくなるから、私は彼女の目なんか要らない。彼女は私以上に目を必要とすると思うから」、といった感じです(笑)。

スライド The Hidden Curriculum

次に「隠されたカリキュラム」についてお話しましょう。「隠されたカリキュラム(hidden curriculum)」とは皆が当然のごとく知っていることで、誰もそれについてあえて口にしない暗黙の了解のことです。もし、「隠されたカリキュラム」がわからないと、すぐに仲間はずれにされてしまいます。

スライド「ドアをもってくれる?」の図

これはビル・ゲイツの話ですが、アスペルガーの人に「ドアを持っていて」と言ったとします。これは、英語の文脈では、他の人のためにドアを開けてくださいという意味なのですが、言葉通りに理解する人は、ドアを持ち上げてくれと言われたと理解し、なんで?と考えてしまうのです。この絵をみてください。

スライド メデリーネがベッカにストレスでイライラ冷静さを保つパワーカード

「隠されたカリキュラム」の本には、「パワーカード」についても書かれています。これは、私が音楽を教えている生徒で自閉症のある子どものために作ったパワーカードです。彼女はとても熱心な子ですが、彼女の苦労は質問に答えることができないということです。彼女はそれがとても心配で心配で、自分を守ろうとするとコントールが利かなくなります。これが毎回レッスンをはじめて15分で発生してしまいます。
母親と話しているうちに、女の子はレッスンが始まって15分ぐらいたつとこういう状態が起こるが、これはフラストレーションのせいだろうということが分かってきました。ですので、女の子がフラストレーションをどうやってコントロールしていくのか彼女に教えていく方法を考える事にしました。そして彼女が特別に興味を持っているメデリーネというお人形を使うことにしました。
私は彼女にメデリーネのお話を聞かせ、彼女は聞き入っていました。メデリーネが彼女にとって特別な興味の対象だからです。そのお話では、お人形のメデリーネは同じようにフラストレーションの問題を抱えているのですが、メデリーネはどうすればそのフラストレーションをうまく乗り切れるのかが分かったので、生徒の女の子にも彼女が困っている問題をどうやったら乗り切れるのかを一緒に考えたいと言っている、という内容です。メデリーネの話は私の生徒の共感を得たようでした。

スライド メデリーネがベッカにストレスでイライラ冷静さを保つパワーカード

 このお話を10センチぐらいのインデックス・カードにまとめ、生徒が必要な時にはいつでもすぐ見られるようにしました。このパワーカードは応用範囲が広く、防災対策から学校でのイジメへの対応にまで適用できます。

"成人期を見通す"

今日の初めにお話しましたように、自閉症傾向の幼い子どもは15年ぐらいたつと、自閉症の大人になります。私たちは、自閉症の人が子ども期から青年期にうまく移行できるようにどうやって助けていくのか検討する必要があります。

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版):私の場合ー13

13歳で私は中学校に入ると、私にとって状況はずっと良くなってきました。私は、周りからの音響効果によってではなく、言葉を使ってうまく友達と意思疎通をはかれるようになり、私の音楽への特別な興味を活かしてブラスバンドに入りました。自閉症の人がうまくやっていくには構造的であるというのがとても重要なのですが、バンドでは構造的な行動をとることができました。仲間との付き合いや、友達をつくること、地域でも別のバンドに入り地域に溶け込むことなどに、構造的行動を利用することができました。

スライド 自閉症スペクトラム(拡大版):私の場合ー19

19歳で大学に入学しましたが、私にとって大学は理想の場所でした。もっと友達がほしいと思ったら、夜中に自転車を乗り回していると、同じように自転車に乗っている変な人を見つけることができました。
大学では多くの学生がデートをしていますが、私たち自閉症の人にとってデートは難題です。自閉症の人にとってデートに伴う非言語のサインを感知するのは難しいからです。デートの仕方の解説本がたくさん出回っているというのは、デートは誰にとっても難しいということの表れれだと思いますが。幸いにも私はこの女性と出会い、結婚して16年半になります。
日本でも最近、特別支援教育法が成立したところですが、もう一つ、私たちが考えなくてはいけないことは、自閉症の人たちがどんな準備をしてその後に備えたらよいのか、卒業後どうやって自分の権利を擁護できるようにするのか、ということです。アメリカでも、また現在では日本でも、教育において他の子ども達と同じように成功するためのチャンスを他の子どもたちと同等に与えるために、特別なニーズのある子どもを見つけ、評価し、学校で必要な配慮を提供することは学校に義務付けられています。
つまり、権利擁護は教育現場では先生たちの役割であり、卒業してからは自分でしていくことになります。どうすれば生徒たちが若い大人として、自分のニーズを適切な形で表明し、周囲からの支援を得ていくことを自分でできるようになるのか、ということを考えていく必要があります。

スライド 自己権利擁護(主張)の定義

自己権利擁護と障害の開示とは何かといいますと、例えば周りの環境を変える必要がある時に、他の人に伝える時期や方法を考えることです。例えば、私が上司に、蛍光灯の光ではチラチラするので集中できないので、電球を替えてもらえないだろうかと頼むような場合、私は蛍光灯だと目がやられるので、といえばいいので、障害の開示は限られた簡潔なものですみます。

スライド 自主的個別教育プログラム(IEP)

私が著書「Ask and Tell」の中で述べたことは、子どもたちが自己権利擁護ができるようになるための方法は学校教育の個別教育プランに組み込むことです。問題は、どうやって子ども達を参加させて一緒に計画を練っていくかということになります。例えば、とても重度で言語でのコミュニケーションができない子どもの場合ですと、その場に居合わせて、先生(支援者)が支援計画をつくる様子を見ている、というレベルで参加することができます。この形であれば、おそらくどんなに重度の子どもでもできるでしょう。もう少し軽度の場合には、どの授業に参加したいか、どの授業は難しいのかを伝えることができるでしょう。そしてさらに参加が可能な子どもであれば、IEPプログラムの打合せに参加し、どのような支援が自分にとって有効か、より有効な支援とは何かについて積極的に議論に参加してもらうことができます。この議論はその後の子どもの効果的な支援にも有用な示唆が得られます。

スライド 現実世界における暮らし

最後に、自己権利擁護および自己開示のためのスキル養成がどうして重要なのかお話しましょう。 例えば、私が大学で統計を教えていて、あなた方は私の生徒さんだとしましょう。授業中、受講者の顔を見て、「皆さんの中にはとても自閉症ぎみに見える人もいるので、授業が終わったら私の部屋に来て、そこでと私と一緒に120の配慮のうちどれか最善のものを選びましょう、それをすることで他の学生と同じようによい成績を修めるチャンスがあります」と伝える場面を考えてみてください。でも、普通は人々はここまでしませんよね。いちいち、違いを持っている人を探し回って、せっせと必要な配慮について考えたりはしません。でも、別にそれをしないからといって、その人が無視しているとか、失礼だとかずるいというわけでもないのです。人は皆、自分の生活で精一杯忙しいのですから、自閉症の人が自分の権利を擁護する方法を見つけ、適切に自己開示していく力を私たち自閉症者自身が身につけていかなければならないのです。
今日ここにお越しいただいた皆さんに感謝申し上げます。ドウモアリガトウ。(拍手)。そして、このような場を提供してくれた国立身体障害者リハビリテーションセンター、浦河町教育研究協議会障がい児部会の皆さん、浦河町役場の皆さん、そして通訳という大役をこなしてくださった宏さんと知香子さんにもお礼申し上げます。ドウモアリガトウ。(拍手)

スライド スティーブン氏出版書籍の表紙

会場からのQ and A

司会(浅野):

ショア先生、どうもありがとうございました。また通訳をしてくださった河村先生、八巻さん、ありがとうございます。予定よりも時間が押しているので、皆さん方からお二人だけ、質問を受けたいと思うのですが。

質問者1:

戦争は今も行われていますよね、それについてどう思いますか?

スティーブン:

戦争は悲惨です。私は戦争が嫌いです。なぜ戦争が起こるのか、お互いを理解しあわないからだと私は思っています。お互いを理解しようとし、気持ちを共有したら、戦争はなくなるでしょう。

質問者1:

サンキュー。

スティーブン:

ドウイタシマシテ。

(拍手)

質問者:

自閉症という言葉そのものは知られるようになってきましたが、その中身についてはあまり知られていないと思います。今日のショア先生のお話で今後、自閉症について知ろうとする人のための大きな動機付けになったという意味で、とてもありがたかったです。
先ほどのお話でショア先生は生後18ヶ月で自閉症を発症したとおっしゃっいましたので、1960年代前半のことかと思います。となると日本では昭和30年代後半ですので、ちょうど高度経済成長期の頃で、自閉症についての関心はほとんど払われてなかった時期ではないかと思いますが、その当時の自閉症に関するアメリカの社会状況について教えていただけますか。
また、160分の1の確立で自閉症を発症するとおっしゃっていましたが、そうなるとずいぶん沢山の自閉症の人がいることになります。でも、通常、日本語で自閉症という場合に連想するのは非常に重度の人のことではないでしょうか。日本語で言う自閉症と英語でいう自閉症の範囲は同じなのでしょうか。日本でも「キレる」とか、「根気がない」といわれる子どもが増えていますが、そのような子どもたちも自閉症に含まれるのでしょうか。

スティーブン:

ご質問、ありがとうございます。また今質問してくださった方が自閉症について理解してくださっていることがよく分かりまして、うれしく思っています。
私は1961年に生まれ、63年に自閉症ドラゴンがやってきて、65年に自閉症と診断されました。当時、自閉症は大変に恐れられ、自閉症と診断された子どもは施設に閉じ込められ、残りの人生を施設の中で保護されなければならないと考えられていました。自閉症と診断されることは悲惨なことでした。
自閉症の原因や支援の仕方ということでいえば、自閉症について考えるにあたり、大きく3つの要素を考える必要があると思います。一つは、私が研究でも関心をもっている教育的、行動的、発達的アプローチです。もう一つは、生物医学的アプローチで、医師など医学関係者の領域です。これもとても重要で、自閉症者・児の中には医療的支援をとても必要としている人も多くいます。一方、中には薬を全く必要としていない自閉症者もいて、私はそのグループの1人です。この両極端な状況は自閉症スペクトラムの多様性を示しているといえます。
三つ目は、感覚統合です。私が今日お話しした自閉症の人は皆、何らかの感覚の問題を抱えています。そして私が見てきた範囲では、この3つの領域のいずれかにおいて支援を必要としていると思います。現在の状況から振り返ってみると、私も生物医学的療法で恩恵が得られたかもしれないと思いますが、当時はそのようなものはありませんでしたから、私は自分の身体を自然の力で治したようです。
最後に、自閉症という言葉の由来ですが、Autiseというギリシャ語で、発音はよくわかりませんが自分自身という意味です。

司会(浅野):

どうもありがとうございました。もっとお話を伺いたいところですが、またの機会としたいと思います。今日は元々別のもっと小さい会場を予定していましたが、170名もの方にお越しいただきまして、急遽会場を移しての開催となりました。今日は現場の先生方、普段から自閉症の方々と向き合っている方々も多く参加されています。今日のお話を協力しながら現場の実践にも活かしていきたいと思っています。
今日は成人大学講座ということでショア先生にお話いただきました。実は、国リハの皆さんはこれまで3年間にわたって防災についての研究に取り組んでいらっしゃって、たびたび訪れていらっしゃいます。その取組の中でショア先生と国リハの河村先生たちが協力して研究されてきたという経緯がありまして、今日の会が実現しました。
実はショア先生が浦河にいらっしゃるのは3回目なんですよね。今後もまたお越しいただける機会があると思いますので、そのときはまたどうぞよろしくお願いいたします。また、この後、お時間のある方はちょっとした交流の場を持ちたいと思いますので、どうぞご参加ください。講師の先生方、どうもありがとうございました。

主催:浦河町教育委員会
協賛:浦河町教育研究協議会障がい児部会、浦河べてるの家
司会:浅野浩嗣(浦河町教育委員会)
当日逐語通訳:河村宏、八巻知香子(国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所)
記録:望月美栄子、熊野将一(国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所)

【翻訳:八巻知香子、服部いづみ、編集:望月美栄子】

連絡先

〒359-8555埼玉県所沢市並木4-1
国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所
障害福祉研究部
Tel:042-995-3100内線2582
FAX:042-995-3132

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最終更新 2009年6月16日