〔国際協力情報〕
JICAミャンマー社会福祉行政官育成プロジェクト
短期専門家派遣報告
学院・手話通訳学科  木村 晴美 

 JICA(独立行政法人 国際協力機構)のミャンマーに対する「社会福祉行政官育成(ろう者の社会参加促進)プロジェクト」の短期専門家として、2010年7月21日から30日までの10日間、ミャンマーのヤンゴンを訪問した。
 このプロジェクトは3年計画で、2007年12月に開始され、上位目標は「ろう者の社会参加促進のため、社会福祉行政官とろう者コミュニティおよびその他プロジェクトの関係者により、全国にミャンマー手話を普及する」ことである。当学科卒業生(14期)の小川美都子氏が長期専門家として2007年よりミャンマーに滞在し、2009年9月には小薗江教官がミャンマーに派遣された(国立リハニュース313号参照)。その成果は、本年5月より実施されている手話普及啓発活動に現れている。3日間の集中型手話ワークショップがすでにミャンマー国内6か所で実施され、9月以降さらに6か所で予定されている。
 今回の派遣は、ミャンマー手話普及のため手話指導技術を学んできたタスクフォースメンバーに、さらに手話通訳養成に必要な理論を指導するためである。ミャンマー社会福祉救済省の、今後手話通訳養成を行いたいという強い要望を受けてのものだ。
 研修の対象者はタスクフォースメンバー20人で、うち、ろう者は12人(マンダレー地区6人、ヤンゴン地区6人)。聴者は、社会福祉救済省社会福祉局幹部職員が2人、聾学校教員(校長・副校長含む)が6人である。
 今回の研修では、以下の3点に重点を置いて指導した。1)指導者は指導する言語に関する高い能力が求められることを理解する 2)言語力を高めるための通訳基礎トレーニングを実際に体験することにより、そのトレーニングの重要性を認識する 3)通訳者に求められる「高い語学力・豊富な知識と教養・優れた通訳スキル・異文化に対する正しい認識・通訳倫理に対する理解とその遵守」等を理解する。
 まず、プロジェクト開始当初から行っている語学教授法(Natural Approach)の理論・実技のフォローアップを行い、次いで講義(通訳理論)、ワークショップ(通訳基礎トレーニング)を実施した。また、通訳教材作成のため、研修前に現地でタスクフォースのろう者全員の手話語りをビデオに収録した。このビデオは今回のワークショップでも通訳基礎トレーニング体験のため活用した。
 ミャンマーでは手話通訳制度が整備されておらず、通訳そのものに対するイメージが形成されていない。そのような状況で、通訳に関する理論を理解してもらうのは難しいように感じた。コミュニティ通訳は、会議通訳と違い、対象者の教育レベルはさまざまで、話し方のレベルも千差万別であり、非常に高度な通訳スキルが必要である。また領域として、役所や病院、学校、警察、裁判等があるが、その場面を構成する2者の間には、医者と患者、行政職員と市民のように、さまざまな力や知識の差があり、ともすれば権力の濫用がおきやすい場面である。そのような中で行うコミュニティ通訳はマイノリティである人たちの基本的人権の保護に直結した通訳といえる。公共サービスに手話でアクセスできる権利(言語権)について、事例をあげながらわかりやすく講義したつもりだが、ミャンマーではわかりにくい概念だったようだ。
 ワークショップでは、言語能力を高めるための通訳基礎トレーニングを実際にやってもらった。用意したマテリアルは4コマ漫画、ストーリー性のある動画、前述の現地で収録編集したミャンマー手話語りのビデオ等である。これらのマテリアルを用いて、同一言語によるシャドーイング、リテンション、リプロダクション、サマライズ、パラフレーズ等を行った。ろう者にはミャンマー手話を、聴者にはミャンマー語とミャンマー手話の両方をしてもらった。コメントも出してもらったが、適切なコメントを出した人でも実際に自分でやってみると思いどおりにうまくできないということがあった。まさに「言うは易く行うは難し」を実感したのではないだろうか。
 通訳養成の指導者は、一般人より高い言語能力を有することが求められている。しかし、ワークショップの結果をみると、日常会話は流暢でも、全員が学習言語レベル(抽象思考が要求される認知活動が可能なレベル)に達しているわけではなかった。
 通訳養成の現場では、通訳しようとする2言語双方の言語能力が高いバイリンガルのろう者の存在が必須である。通訳では、起点言語のテクストの構造をそのままに目標言語のテクストに訳出するのでなく、起点言語のテクストに内在しているメッセージを目標言語のテクストに訳出することが重要である。しかし、このことは、残念ながら日本における通訳養成の現場でもなかなか理解されていない。翻訳・通訳は、語と語の変換ではなくメッセージを伝えることであるということを理解し、両方の言語構造を対照分析できる力が指導者には不可欠だ。幸いに今回のタスクフォースメンバーには該当するろう者が2人いた。
 今回の講義・ワークショップは、翻訳・通訳に入る前の基礎的なことを重点的に行い、翻訳・通訳のプロセス(言語変換)、対照分析の手法等については導入できなかった。現在のプロジェクト(手話普及・啓発)は今年12月に終了することになっているが、今後、ミャンマー社会福祉救済省の希望どおり、手話通訳養成が実施される際は、継続してこのプロジェクトに協力していきたい。
 現地における講義は、日本手話-日本語-ミャンマー語-ミャンマー手話というリレー通訳で行われた。前述したようにミャンマーには手話通訳制度がなく、したがってプロフェッショナルとしての手話通訳者も存在しない。ミャンマー手話通訳はタスクフォースメンバーである聾学校教員3人が交代で行ったが、事前に資料を読み込む、毎回の打ち合わせに参加し確認するといった通訳者としての基本的な姿勢を持ち合わせていなかった。日本から同行した日本手話通訳者や日本滞在期間が長く通訳経験豊富なミャンマー語通訳者の働きかけで、プロジェクトが終わりに近づいた頃は打ち合わせに参加するようになったが、通訳スキルは高いとは言えず、講義やワークショップが何度か中断することがあった。
 なお、今回のプロジェクトの上位目標でもある語学教授法(Natural Approach)の習得状況の確認と改善点の検討と総仕上げのため、小薗江教官が8月10日から19日までミャンマーに派遣されている。
 ミャンマー国の体制にあわせた手話通訳の養成が急がれるべきであるが、それが成功するかどうかは、手話教師を含め、手話通訳養成の指導者の養成の成否にかかっていると思う。今回の派遣がJICAプロジェクトに少しでも役立ったら嬉しい。
 


(写真)グループ別に通訳基礎トレーニングをしているところ   (写真)研修参加者との集合写真
グループ別に通訳基礎トレーニングをしているところ   研修参加者との集合写真