第24回
誰もが安全に生活できる
“新しい生活様式”のあり方 第1回目
13:30-13:45 | 開会の挨拶・福祉工学カフェのの趣旨説明 |
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<第1部 当事者の方のご講演> | |
13:45-14:00 | 進行性眼疾患による中途重度視力障害の生活面での課題への支援技術に寄せる期待 吉本 浩二氏(情報通信DX企業勤務) |
14:00-14:15 | 現在と今後増えると予想される高齢中途視覚障害者が容易に情報アクセスができるローテクな機器の開発 佐藤 一人氏(都内障害者相談支援センター) |
14:15-14:30 | 中途失明者としての自分の日常生活について 城谷 直人氏(民間の建設工事専門会社勤務、NPO法人江戸川区視覚障害者福祉協会常任理事、一般社団法人チャレンジド・ヨガ理事) |
14:30-14:45 | 開発と啓発の組み合わせで福祉機器を世界へ~ロービジョン者の立場から~ 芳賀 優子氏(公益財団法人共用品推進機構個人賛助会員、社会福祉法人国際視覚障害者援護協会アシスタント) |
14:45-14:55 | 休憩 |
<第2部 パネルディスカッション> | |
14:55-15:55 | 当事者の方がパネラーとして参加したパネルディスカッション 参加者の皆様との総合ディスカッション |
15:55-16:00 | 閉会の挨拶 |

吉本 浩二氏
情報通信DX企業勤務
ご略歴 | 進行性である網膜色素変性で徐々に視力低下。現在は手動弁程度、白杖歩行、情報機器は音声読み上げソフト使用。 幼少期から視力低下を自覚、高等学校途中で盲学校へ転入、使用文字を点字に切り替え。 ICTメーカーにて、アクセシビリティ、ユニバーサルデザイン関連部門に所属、その後マーケティング部門に異動、現在に至る。 |
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佐藤 一人氏
都内障害者相談支援センター
ご略歴 | 平成元年にベーチェット病と認定され、平成15年頃に左眼にぶどう膜炎を発症、翌年には右眼も発症、同時に体調も悪化。 平成19年から生物学的製剤での治療を開始も平成23年夏に抗体反応によりアナフィラキシーショックにより中止、その後は免疫抑制剤とステロイドの服用治療に変更。 平成24年右脚にステロイド性大腿骨頭壊死を発症。クラッチ杖で保存治療開始。 平成25年に障害者手帳(視野2級、下肢5級)1種2級を取得。 平成26年より東京視覚障害者生活支援センターで機能訓練を開始、訓練中に大腿骨頭壊死の手術を受け2ヶ月入院。 平成28年春に途中中断を経て機能訓練を終了し、現職に。その年に中途視覚障害者の情報交換会を始め現在まで継続中。 |
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城谷 直人氏
民間の建設工事専門会社勤務
NPO法人江戸川区視覚障害者福祉協会常任理事
一般社団法人チャレンジド・ヨガ理事
ご略歴 | 1992年4月建設工事専門会社入社。設計、施工管理、営業を経験。 2011年2月血管新生緑内障と診断され手術を繰り返すが2012年5月全盲となる。 2012年9月より3月まで国立障害者リハビリテーションセンターに入所。機能訓練を修了。 2013年4月復職。現在は晴眼者時代の知識と経験と人脈を生かし営業補助として勤務の傍ら、NPO法人江戸川区視覚障害者福祉協会にて常任理事、視覚障害者向けヨガクラスを開催している一般社団法人チャレンジド・ヨガにて理事として活動中。 |
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芳賀 優子氏
公益財団法人共用品推進機構個人賛助会員
社会福祉法人国際視覚障害者援護協会アシスタント
ご略歴 | 1962年生まれ、生まれた時からロービジョン。 視力:右→光を感じる程度、左→0.02、全色盲。15倍のルーペ、10倍の単眼鏡、白杖を使っている。昼間のまぶしさに弱く、夕方や夜のほうが比較的よく見える。 小学校から高校まで、盲学校で学ぶ。 1985年3月、拓殖大学外国語学部スペイン語学科卒業。 1985年4月、ヤマト運輸株式会社に入社。2007年まで勤める。 2009年4月~2012年3月、NHKラジオ第二放送で視覚障害者のための番組の司会を務める。 2014年4月 国際視覚障害者援護協会事務局のお手伝いを始め、現在に至る。 1991年、現在の公益財団法人共用品推進機構の前身の団体ができた時から、活動に参加。現在も続けている。 |
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国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO | http://www.nedo.go.jp/ |
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厚生労働省 | http://www.mhlw.go.jp/ |