障害者の災害対策シンポジウム ~被災地から学ぶこれからの備え~

講演概要

1. 東日本大震災と障害者 後方支援の現場から
(STEPえどがわ 事務局長 今村登氏)

・3月11日当日より、自立生活センター系列のネットワークをはじめ、障害者団体が連携して連絡をとりあい「東北関東大震災障害者救援本部」を発足して支援を始めた。その際、阪神淡路大震災の経験が役立った。
・4月より被災地視察を開始し、現地の自立生活センターとともに、在宅避難者の支援を主な対象として生活支援を行う。
・東北には、そもそも自立(独居)生活を送る障害者が比較的少ない状況があったが、移動支援を中心に支援を実施した。
・その後、福島の原発からの避難に対する相談も受けるようになる。東京の戸山サンライズでは、福島からの避難者を受入れ、介助者派遣などの支援を行った。
・福島差別、障害者差別が生まれる背景について考える必要がある。この震災からの教訓は、自然も障害も克服するのではなく、ありのままを受け入れ、共存することの重要性である。
・少子高齢化が進む2050年の日本に危機感を持って、3.11を日本のターニングポイントとして、原発・人権無視・無関心からの脱却を図り、共存の社会づくりを進める必要がある。

 
左:国立障害者リハビリテーションセンター研究所 井上剛伸 福祉機器開発部長からの開会あいさつ
右:今村氏の講演

2.排泄問題ワークショップ・災害対策グループが考えた3つの視点と5つの質問
(国立障害者リハビリテーションセンター研究所 硯川 潤)

・このシンポジウムの背景には、2011年より福祉機器の開発に当事者ニーズを反映するための場づくりを行ってきた経緯がある。車いすユーザを始め、多様な立場の参加者が話し合う「井戸端会議」で提案されたロードマップをもとに、具体的な提案・活動を実施してきた。
・2012年の「井戸端会議」で提案されたテーマのひとつ、「障害者の災害対策」グループでは、被災地の状況、トイレの問題などについて参加者が学びながら、災害への備えについて考察するとともに、被災地の経験から対策を学ぶ、本シンポジウムを企画した。
・本シンポジウムに向け、ワークショップの参加者と共に、「個人の障害に対応した備え」「コミュニティ (人間関係) の構築」「機器とテクノロジーで乗り切る」の3つの視点を掲げ、「①移動の課題、②トイレの問題、③ヘルパーの問題、④支援コミュニティについて⑤いざという時の備え、⑥情報の問題、⑦共助・公助について」の7つの疑問を軸に、被災地から招いた方々の話を伺うこととした。

3.被災地での経験と提言
3-1.岩手での被災障害者支援
(JDFいわて支援センター 事務局長 小山 貴 氏)

・支援を行っている陸前高田市は、市職員の4分の1強が犠牲になるなど、石巻に次いで2番目に大きな被害を受けた場所である。
・障害者支援団体は、実態を把握できていない行政サイドからではなく、独自ルートで支援を行わざるを得ない状況であった。
・障害のある方の犠牲が2倍であったというNHKの発表は衝撃的であったが、陸前高田市の状況は、依然として行政も調査できる状況ではなかったため、実態調査を行う事とした。調査では、障害者手帳を持つ方1357名を対象に、発災時の状況、現在の状況、次への備えなどについて聞いている。調査は、個人情報の開示に理解して頂いた1016名から回答があった。
・その結果、災害に関する当時の主な情報源は、防災無線、福祉サービス事業者などで、避難誘導は家族や福祉サービス事業者などが主導したこと、避難しなかった人の中には、逃げたくても逃げられなかった人がいたことなどを把握できた。
・市では、「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」をテーマに掲げ、まちづくりを進めており、様々なイベントや研修会、市職員や市民を対象とした活動を進めている。
・沿岸被災地とは別に、岩手県内陸部でも物資や食料、燃料などが不足する事態となっていた。災害時に限られた資源を効率的に温存・利用するために、障害者などが一時的にグループホームのように集まって暮らすことも必要と考えている。
・東京のみなさんには、東北の事を忘れないで欲しいというよりも、「我が事」として考えて欲しいと思っている。

 
左:小山氏の講演
右:会場の様子

3-2.福島広域避難の体験から
(NPO法人ケアステーションゆうとぴあ 理事長鈴木 絹江 氏)

・原発被害により福島県田村市から京都市に避難し、現在も避難生活中である。
・今回の災害の特徴は、地震、津波、原発という複合災害であるという点である。特に、原発については、広域な範囲で私たちの所は屋内待避ということになりヘルパーも来ることが出来ない状況になった。支援者も被災するということも重要な問題である。
・避難所に入ることができない障害者、避難所での生活困難を考え避難しない障害者が多くいた。その人達が病院や施設に移されても、キャパシティがオーバーして十分な介護を受けることができない状態となる。
・大災害時は、行政も助けに来る事が出来ない。行政の役割は、事前の備えや防災訓練である。まずは「生き残ることをあきらめない」ことが最大の自助となる。自助があって、はじめて共助、公助が受けられるようになる。
・要援護者名簿作成については、要援護者とは誰か、誰が支援するのか、情報開示の体制はどう行うのかなどの課題がある。
・犠牲者ゼロを目指し、要援護者が逃げ足の速い人となれるように、避難移送の支援、避難先の支援、自助・共助・公助の役割について考える必要がある。

3-3. 南相馬市の障がい者支援と個人情報開示
(デイサポートぴーなっつ 理事 青田 由幸 氏)

・震災の直接的な犠牲者の中には、高齢者・障害者が6~8割と非常に多い状況がある。原発による直接の死者は無いと言う人がいるが、長引く避難生活の中での震災関連死は2000人以上にのぼり、まだまだ、引き続いて起きている問題である。
・原発による広域避難の状況は、広域火災でも同じような事が起こりうる。広域避難では、避難中・移動中に亡くなる人も多い。
・津波は、その中にコンクリートなどの瓦礫が入っているために、相当な破壊力となる。まず、逃げるしかない。
・避難をする際は、積極的に近隣などに呼びかけ合うことが重要である。一方で、屋内退避を続けていると重要な情報が適切に入らないこともあり、甲状腺がんに関する情報が錯綜し、子どもたちと共に圏外へ避難することにつながった。
・放射線の高い地域には、食料や燃料などが運ばれてくることが難しくなるので、行政の誘導で希望者を圏外に避難させるバスを運行したが、それでもバスに乗らずに残る人もいた。人口7万人のうち、高齢者や障害者の計1万人程度が、避難所での生活をあきらめ、市内に残った。 ・災害対策基本法が改訂され、要援護者の情報開示が可能になったが、どう運用するかということは市区町村レベルに委ねられている。当事者自身も行動を起こしながら、対策を講じていかなければならない。

 
左:鈴木氏の講演
右:青田氏の講演

つづき(パネルディスカッションの概要)